仕事、会社、転職・・・自分が見えなくなったら

仕事にやりがいを感じず悩む男がいた。

男は上司に相談した。
上司は「やりがいはそこにあるものではなく、後から出てくるものだ。今の仕事に注力していれば、やがて感じられるようになる」
しかし、やりがいは感じられなかった。

男は友人に相談した。
友人は「どこへ行っても似たようなものだ。だいたい仕事なんか面白いものじゃあない。もう少し我慢してみろよ」
しかし、やりがいは感じられなかった。

男は転職を決意し、エージェントに登録した。
エージェントの担当者は「あなたに合った会社があるはずです。一緒に探しましょう」
男は転職した。
しかし、やりがいは感じられなかった。

男は企業や職種を変え、複数の転職を試みた。
が、何度挑戦しても結果は同じだった。

男のやりがいを見つける試行錯誤の支援者たちには一つの特徴があった。

  • 上司は「うちの会社だっていろいろあるが、会社なんてそんなものだ」と思っている人だった。
  • 友人は「仕事にやりがいを感じるなんて、ある意味理想論。仕事なんて所詮そんなものさ」と思っている人だった。
  • エージェントの担当者は「会社との相性もあるし、ダメなら次を探せばいい。そういう前向きな気持ちで頑張って欲しい」と思っている人だった。

 

3人に共通するものは何か?

  • 一つは、「確かにそうですね」ということである。
  • もう一つは、「そういう面は確かにあるが、『本当にそうだろうかと深く疑わずに済ませている」…既存のものに順応同調しているということである。

 

以下は私の私見である。

仕事のやりがいには2種類ある。

  • 世の中一般としてそう思われ、現実とされている「体制」「秩序」「慣習」「割り切り」に従い、そこに身を置いて見つけ出すやりがい。
  • 世の中一般としての各種常識を根底から疑い自分の価値観や人生観に基づいた仕事に就いた上で見つけ出すやりがい。

 

この男の迷走は「社会の慣習を疑うことをしない『常識をわきまわた大人たち』」に頼ることをやめ、「違和感を感じ/それを全身にめぐらせ/その本質を暴き/自分に正直になることを妨げている『フワフワした精神』」を鍛錬し、けものみちへ入っていくための第一歩を踏み出さない限り、永遠に続く。

繰り返すが、ここで書いたことは全て私の個人的見解であり、独断と偏見である。
異議もあるであろうし、それを否定するつもりもない。
既存の体制や常識を是とし、アドバイスする立場も何ら否定しない。

ただ、既存のありものをいろいろ試しても効かない時には、こういう立場に立ってみることも一つの方法だということを言っておきたかったのだ。

出所:中沢努「思考のための習作」

(初稿)2010年 6月25日

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筆者

中沢 努

早稲田大学文学部で哲学を学び卒業後、同時通訳訓練を受ける。
複数のコンサルティング会社で仕組みによる人間系の問題解決に従事した後、「人間そのもの」に焦点をあてたコンサルティングや教育を開始。

現在は「個の内面に深く入り込む」ことにより組織内の様々な問題解決を行う活動に従事。キャリア30年。

※ 筆者による他の教育資料もご参考下さい。→ ①公開資料集、②コンプライアンス資料庫