コンプライアンス実感論
以下は、筆者の実際の経験にもとづいています。
コンプライアンス違反を起こした組織の人と接して妙な違和感を感じました。
- そういう組織にいる人であっても、個人として接すると常識的な人が多い。
- その意味においてみな普通の人である。決して悪人の集団ではない。
- しかし、何かが欠けている。
私は自分の心に引っかかった「違和感」を心に留め、感じ、考え続けました。
そして気づきました。
「鈍い。本気で感じていないのではないか?」
自分の会社に対する怒りや悲しみ、そんな組織に所属してしまったことに対するやりきれなさ、などが伝わってこないのです。
申し訳ない、残念だという気持ちが無いわけではないが、どこかぼやけているように感じられたのです。
- あなたが被害者だったら相手の会社に何を感じますか?
- あなたの家族が被害者だったらその会社に所属している人に何と言いたくなりますか?
自分や自分の家族が被害者と同じ経験をしたら当然感じるに違いない『やり場の無い憤りや深い悲しみ』『なぜこんなことが起こったのだという疑問』に肉薄するレベルで違反を受け止めているようには見えなかったのです。
その根底にある偽らざる気持ちは何か?
「私ではない。やったのは(会社だ)(あの部署だ)(あいつらだ)。だから、だから・・・。」
自分が直接やっていないと感度が鈍る・・・
この誰もが持ちうる心のあり方に歯止めをかけるためにはどうしたらいいか?
人間として自然な感情である「嫌だ」という気持ちを呼び起こす。
すなわち「それは嫌だ」と実感すればいいのです。
相手に思いを馳せる。
相手の目線で眺めてみる。
相手の立場で感じてみる。
私(筆者、中沢)は決めました。
「これをコンプライアンス実感論と呼ぼう」と。
- 「慣行だ。前任者もやっていた。ひとつよろしく頼む。」担当役員に呼ばれ、言われた。
断ろうと思ったが、ノーと言えなかった。
年老いた自分の親がこれを見たら何を思うか?
妻や夫が知ったら何を感じるか?
息子や娘が知ったら何と言うか?
- 近所のスーパーでいつものように食品を買ってきた。
それが夕食に出され、家族みんなで美味しかったと食べた。
その後に『実は非衛生的に作られた食べ物だった』 『産地や賞味期限が偽って表示されていた』
と知らされたら・・・
あなたはどういう気持ちがしますか?
自分のこととして真剣に受け止め、まっすぐに感じてみてください。
出所:中沢努 「人間としてのコンプライアンス原論」
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