ある人の著作権が侵害された。侵害された男の名前はA。
Aは弁護士と連絡を取りいつでも動ける準備をしつつ、自力での解決を模索した。

著作権を侵害した男…名前をBと呼ぶことにする…は言った。
「これは自分が書いたものだ。お前の著作物など見たこともない。だから著作権は侵害していない。」

Aの表現物は公のメディアで公開されており、誰もが見ることのできる状態にあった。
Aは、当然といえば当然だが、自分の表現物を読んだ人を個別に把握し、記録しておく手だてを有していなかった。

従って、形式論的にはBの言い分は成り立った。
しかし、AはBの言明を信じなかった。

なぜならその作品は、Aが考え、悩み、書いては消し書いては消しを繰り返し、朝から晩まで、移動中の電車の中から用事を済ませ食事をとっている最中も、そしてトイレに入っている時でさえ、頭の中で反芻し、推敲した結果生まれたものだった。

さらにAの作品は、ある種の思想を文字を用いて表現したものだった。
文体はそれを書く人の人生観精神性を映し出す。
Bが自分のものだと言い張る表現物はBの精神ではなくAの精神を投影していた。

結局作品はAのものとされ、Bの言明は否定された。

Bはなぜ嘘をつけたか。
BはAと同じくらい本気で作品を作ったことがなかったからである
BはAと同じくらい時間をかけて作品を練り上げたことがなかったからである
BはAと同じくらい強いこだわりをもって作品をつくったことがなかったからである

だからBは真剣に、愚直に、くそ真面目につくられた作品を土足で踏みにじり、陵辱できたのだ。

文体だけでなく発言や行動もその人の人格や精神性を映し出す。

著作権を侵害した男の心理は、
愚直に生きることなく、
誰の力も借りず自分一人で作品を生み出せず
直球で勝負する気概に欠け、寝技で人生をやりくりしてきた、
寂しい男の心理そのものだった。

出所:中沢努 「人間としてのコンプライアンス原論」

(コピペ、パクリ、無断転載禁止)

初稿:2010年06月22日  https://profile.ne.jp/w/c-39226/

筆者

本サイト運営者 中沢 努

早稲田大学文学部で哲学を学び卒業後、同時通訳訓練を受ける。事業会社を経てアーサーアンダーセンへ入社。同社コンサルティング部門にて組織や人事問題に関する各種コンサルティング活動に従事。現在は「企業倫理・コンプライアンス」と「教養・リベラルアーツ」の分野を中心に活動。

※ 同筆者による他の教育資料もご参考下さい。→ コンプライアンス資料庫