組織に属する勤め人と家庭の関係に関する考察

私の身の回りには多種多様な人がいるのだが、その人たちをひとつの集団としてとらえると、大きく2つのグループに分かれる。

一体感のある家庭の人」と「そうでない家庭の人」の2種類である。

一体感のある家庭とは、同居している者全員が集まり、共に行動し、喜怒哀楽を共有したいという意識を持ち、実際そうする家庭のことである。彼らは家族一緒でいる際に無理をしているふうが全くなく、皆がそこにいること自体が空気であるがごとく自然に見える。

一方そうでない家庭とは、同じものを見たり、感じたり、同じ経験をした後で出てくる互いの意見を交わし合う機会・場・時を持たない/持とうとしない/そんなこと意識すらしない

それは例えば、週末に行われる子供の学校の行事に出てくるのはお母さんだけだったり、あるいはお父さんだけだったり。何の変哲もない平凡な日曜日の午後の公園で遊ぶのは子供とお母さんであったり、お父さんと子供であったり。

いずれにせよ子供+お母さん+お父さんというセットで登場し、そこで繰り広げられる様々な「もの」や「こと」を同時に/一緒に味わうことをしない…あるいは一緒にいてもどことなくきゅうくつな空気を感じさせるような家庭のことである。

一体感のある家庭には特徴がある。生計を成り立たせている経済的な主(ぬし)が…それはお父さんでもお母さんでもその両方であってもいいのだが…自由人というか要するに組織に縛られていない人であることが多いように見えるのだ。

  • 土曜日。お母さんだけが子供を連れて公園にやってくる。聞くと「主人は部屋で寝ているわ。子供がうるさいから公園へ連れて行って欲しいってかんじなの。」
  • 日曜日。お父さんだけが子供を連れて公園にやってくる。聞くと「子供がじゃまで部屋の掃除もままならないから公園へでも連れて行ってよと言われた。日曜日くらいは子供から解放されてゆっくりしたいから夕方までたっぷり遊ばせてきてね、だってさ。」

こういう家庭は経済的な主…役所にある書式ふうに言えば「主たる世帯主」…が組織に所属しているいわゆる「勤め人」であることが多い。

不思議なものである。
会社でいろいろあるお父さんが疲れて寝ているのは分かる。
でもそういう家庭のお母さんは「うちの主人はね…もうやんなっちゃう…」と旦那さんの愚痴を言ったりする。

一方、家庭や配偶者に対する愚痴が少ないお母さんの配偶者は組織のしがらみに縛られないような職種や職業であることが多い…ように見える。

組織というのは一人でできないことを可能にする素晴らしい存在である。
組織のお陰で私たちは物質的に/経済的に成長し、生活が便利になった。
その組織が家庭の団らんや家族としての一体感を阻害しているように見える。

もちろんこれは私ひとりの限られた経験からくる見方であり、なんら普遍性を持たない。
だからこれは私の独り言である。

出所:中沢努「思考のための習作」

(初稿)2010年 6月11日

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筆者

中沢 努

早稲田大学文学部で哲学を学び卒業後、同時通訳訓練を受ける。
複数のコンサルティング会社で仕組みによる人間系の問題解決に従事した後、「人間そのもの」に焦点をあてたコンサルティングや教育を開始。

現在は「個の内面に深く入り込む」ことにより組織内の様々な問題解決を行う活動に従事。キャリア30年。

※ 筆者による他の教育資料もご参考下さい。→ ①公開資料集、②コンプライアンス資料庫