実話 成功した有名企業社長の末路
仕事で頻繁に訪れる場所で度々見かける人がいる。
その人は有名な企業の元社長だ。
これを読んでいる人の殆どは一回は利用したことがあるに違いない会社である。
そこを立ち上げ、大きくした人だ。
その企業は業界のパイオニアであった。
経済誌などでその成功は広く喧伝されたし、そういう偉業を成し遂げた事業家として新聞などにもよく登場していたものだ。
しかし、その人は自分が創業し大きく育てた「我が子」から追い出された。やってはいけないことをしたからだった。
やってはならぬことをやってしまったその人は、ノーネクタイながらそれなりの値段がするであろうと思われるスーツを着ており、さすがに身なりだけは立派だった。
しかしその立派なスーツとは対照的に、その人の目、姿勢、漂わせている雰囲気は弱々しく、どこか他人からの目を気にしているように見えた。
事業家として成功した人は、どんな人であれ「凄み」をもっており、その人が望むか否かに関係なく、その凄みを感じさせる「何か」を漂わせているものだ。
しかし私が何度も目にしたその人からは、そのような凄みは何も感じられなかった。
私はその人の人生を想った。
- 起業した時は熱い気持ちをもっていただろう。
- はじめたばかりの時は凡人ならば音をあげるに違いない苦労があっただろう。
- 軌道にのってからはものすごい充実感を味わっただろう。
しかし、美酒を味わった勝者はその後地獄を見た。
あの人は今、何を想って生きているのだろう。
- 開き直り、か
- あきらめ、か
- いつかは復活してやるぞという怒り、か
真実はその人しか知り得ないが、私が見たその人からは、これら3つのどれも感じることはなかった。
私が見たのは、まるで魂を抜かれたような弱々しい一人の壮年の男性に過ぎなかった。
芥川は『自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることはできない。』(侏儒の言葉)と述べた。
どうやら、お金/地位/名誉名声/そこから生まれるプライド、などは「自由」や「山巓の空気」同様、弱い者には堪えることができないようである。
経済的或いはそれに付随する様々な成功は精神が弱い者には堪えられないのだ。
魔が差してしまったのかもしれない。それにしても、
- この人は、これから何を思い生きていくのだろか?
- この人は、自分の人生を終える瞬間、何を思うのだろうか?
- そしてあなたは、この有名社長をどう思うのだろうか?
出所:中沢努「思考のための習作」
(初稿)2010年 7月05日
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筆者
早稲田大学文学部で哲学を学び卒業後、同時通訳訓練を受ける。
複数のコンサルティング会社で仕組みによる人間系の問題解決に従事した後、「人間そのもの」に焦点をあてたコンサルティングや教育を開始。
現在は「個の内面に深く入り込む」ことにより組織内の様々な問題解決を行う活動に従事。キャリア30年。
※ 筆者による他の教育資料もご参考下さい。→ ①公開資料集、②コンプライアンス資料庫