真実にふれたとき、人の心は動く。そして、そこから生まれた感情が「良心」を生み出す。

 

先日、ある本を読んだ。
「証言記録 兵士たちの戦争」(NHK出版)という本だ。

 

そこにこんな言葉があった。

(引用始)

小泉保清さん

年中、ぬかるんだ道をガッポスッポ、ガッポスッポ歩いているから、
そうすっと今度、靴の中がふやけて足の皮が剥けちゃってよ。
で、血が噴き出してんだ。それだって歩かないとなんねえ。
歩っちまえばそんなことねえけど、一回休んじまうと、
今度いざ出発となったときに足の裏が痛くてよ。
そして靴の底さ綿敷いて、足の指と指の間に綿をからめて、
そうして歩いたんだ。
そして、なんとかかんとか耐えていくべとなったんだ。

 

菊地十男さん

死んでしまった人もいますよ。俺、死んだその人の足見たっけが、
もう骨見えるくらいなんだから。足の豆が潰れて。
初年兵だから隠して動いたんですよ。古年兵から怒られるから。
そんなことでどうするんだ、なんて気合いを入れられますから。
隠すんですよ。
誰にも「俺は足に豆ができている」なんて言わないんですよ。

 

田口良一さん

うちの機銃部隊が三人ぐらいやられて。
おなかの内臓が出ちゃって。
内臓入れて、針も何もないからね、大きいタオルでぐっと締めて。
手とか足とかも全部皮が剥けちゃっているから、それ包帯してやって。
みんな志願兵でね。みんな二三から二五ぐらいの兵隊でしょう。
そんでみんな、「お母さーん・お母さーん」ばっかりだわ、全部が。
「お父さん」「天皇陛下」なかった。一人も痛いって言わなかった。
みんな「お母さん」。

(引用終)

出所:「証言記録 兵士たちの戦争」 NHK出版

 

戦争を経験した人の言葉だ。
私はそれとまっすぐに向き合った。

反戦をイデオロギー的に叫ぶのではない。
労苦を賛美するのでもなく、哀れむのでもない。
ただただ素朴に、「ひとりの人間」として、先人の苦難に思いを馳せる。

他人事(ひとごと)とは思えなかった。

時計の針がずれていたら、自分がそこにいて
同じ経験をしたかもしれない、のだから。

 

先人の言葉に真摯に耳を傾ける。
そうすれば、「ひとりの人間として、すべきことはしない」という気持ちに素直になれるような気がした。

 

出所:中沢努「人間としてのコンプライアンス原論」

 

出所:人間の本能によるコンプライアンス教育

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